独りぼっちのお気楽マイル道 ANA SFC 思想”たまには贅沢もいいじゃない?”

福岡市在住の気まぐれアラフィフ。ANAのDIAは8シーズン目。JALは5年目の「紫」 海外に行けないのに...必要か?!”ゆる~く”楽しみながら旅&思想中。

日本一忙しい福岡空港【基礎知識編】

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知ってました?日本一忙しい福岡空港【基礎知識編】

ハナサク地元福岡空港ですが、今まで一切ふれる事のなかった、いつもお世話になっている、この地元空港を今日は少しだけ掘り下げてご紹介してみたいと思います。

ANA SFC修行をはじめ、旅行・ビジネス・観光でご利用になる方は、何となくお気付きかとは思うのですが利用者から見ても福岡空港の離発着回数・・・実は尋常じゃないんです。

※長蛇の離陸待ち、上空での着陸待ちは日常茶飯事。

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日本国内の空港で離発着ランキングでは、当然ながら「羽田」「成田」に次いで、セントレア関空を差置き「福岡」は3位ランクインするのです。

但し、これはあくまで空港単位で見た数字で、ご存知の通り福岡空港は「日本一便利な空港」と言われる通り博多駅へは地下鉄でわずか5分中洲まで9分都心部(天神)までも11分という国内でも類を見ない街中の便利な利便性故、空港丸ごと引越しでもしない限り拡張や増設が困難なんです。

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そこで改めて滑走路単位で1本当たりの年間発着回数を見ると、14万回超えダントツ日本一の離発着回数で、国内線だけでも20超えの路線で約300便が運航し、羽田便に関しましては50往復運航されていて30秒間隔で離発着の「日本一慌ただしい(忙しい)空港」って訳なんです。

また福岡都心部、博多中心部に超高層ビルが無く建設の許可が下りないのも、この空港の立地による航空法の為なんです。

※今後は天神ビックバンと銘打って中心部の再開発始動に伴い、行政も航空法の規制緩和で高層階建設許可が少しずつ認可されていく模様です。

福岡空港とともに都心部も今後の再開発で生まれ変わっていくようです。

福岡空港の歴史【席田➡板付➡福岡】

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ん~~、完成直後に接収・・・なんか嘉手納の歴史に似ているような…

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席田(むしろだ)という名前の名残は現在も残っており、空港のすぐ東側には席田小・中学校があります。福岡空港離発着時にチラっと滑走路の東側に銀色のドーム型施設(アクシオン)が見えるのですが、あの辺りですね。空港開設当時はこの周辺一体が席田(むしろだ)地区だったんですね。

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終戦を迎え、席田飛行場は米軍に接収されます。それを期に、席田(むしろだ)ではなく板付(いたづけ)という地名になり、板付空港(イタヅケエアベース)と呼ばれるようになりました。年表によると、「飛行場は周辺土地とともに接収され」とあります。

まるで今の沖縄の様な基地問題を抱えた時代もありました

今では考えられない事ですが、当時は今の「沖縄の米軍基地問題」そのものが、ココ福岡市内、それも都心部で繰り広げられていたんですよね。※50年前の、この時代でのカラー映像が超貴重でスゴイですよね。

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昭和47年に米軍から返還され、福岡空港と呼ばれるようになったのです。板付空港の名付け親は米軍ということになりますね。

ではなぜ米軍は接収時に席田(むしろだ)ではなく、少し離れた地名である板付(いたづけ)を選んだのでしょうか。

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 米軍に接収された席田(むしろだ)飛行場ですが、同じく接収された伊丹や小松は、そのままの名称で、ここだけ米軍は施設名を変えています。これは、席田(むしろだ)という地名が米軍にとって非常に発音しづらいことが理由のようです。また、駐留軍の軍人の多くが、接収された周辺土地である板付から春日市にかけて作られた米軍住宅に住んでいたこともその理由でしょう。米軍にとっては板付と言う地名の方が馴染みがあったのですね。

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民間航空の航空路線は1951年(昭和26年)10月 - 日本航空(福岡 - 大阪‐東京)が営業開始。

 全日空は1958年(昭和33年)福岡 - 大阪間の夜間郵便飛行開始、その後1973年(昭和48年春)に初めて東京路線で本格参入。

戦後~高度経済成長期の、この時代は日本航空(JAL)が不動の天下だった事が垣間見れますね。

2019年3月に国内線を集約したターミナルビル完成予定

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時は移り平成29年。

パンク寸前(既にパンクしてる?)の事情を踏まえ一時はマスコミ等でも沿岸部や埋め立て地に大規模な福岡国際空港新設案で盛り上がっていましたが、一部の無能?な財界人や利権絡みの目に見えない関係(素人憶測)で何となくお得意の棚上げ後回し。

現在は代案で民営化とともに2024年迄に2500m滑走路を増設し、国内線の1~3ターミナルを再開発し地上 5階、地下 2階の一つのビルに集約し2019年春に生まれ変わろうとしている真っ最中であります。 

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そもそも第一ターミナルは1969年完成ですので約50年経過し老朽化も目立つ上、滑走路の増設予定地にターミナルがかかる為「どーせ見直すんだったら、1~3ターミナルをひとまとめにして近代施設に造りなおしちゃましょう!」って事なんですね。

 

そんな事情で現在はターミナルの至る所で工事中なんですね。

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国内線ターミナル変革期まとめ

個人的には、他の地域の空港移転失敗例から見ても、20年前位から騒がれだした沿岸部や埋め立て地での新空港建設はあまり良いイメージがありませんでした。

現在この福岡空港の立地はじつに便利で、旅も近く感じる事ができます。ターミナル大規模工事が始まった当初は大変不便に感じましたが滑走路増設計画の全貌を見ると、やはりこの場所が観光客やビジネスマンにとっても何より便利で最高の立地じゃないかと思います。やはりこの地が大好きです。

自宅から空港まで地下鉄一本で20~30分そこらで移動できて運賃わずか200~300円ですよ。凄い事です。

那覇空港なんかもそうですが、便利に生まれ変わる変貌期であれば、不便な面も、もうちょっとの我慢と辛抱できそうですね。2019年春のオープンを楽しみにしたいと思います。2019年の春って言えばANAのホノルル便A380「FLYING HONU」デビューと同じ頃ですね。ANAマイラーにとっては益々楽しみな限りですね。

今回は当たり前で便利に使っている地元空港を独り言混じりでご紹介してみました。旅レポネタも溜まりまくっているのですが夏は遊びに集中で時間が足りないw また地元シリーズ続編、時々綴ってみようと思います。

 

では、また。