- 嘉手納っていえば?
- では嘉手納基地とは?
- 本当に沖縄県民は基地反対??
- 沖縄県民の真意(本音)
- 嘉手納ロータリー
- 安保の見える丘
- 道の駅かでな
- サツマイモ発祥は薩摩ではなく嘉手納???
- ロータリードライブイン
- こちらが2Fのレストラン。
- 屋上で嘉手納基地を望む
- 帰りは3階の学習展示フロアに立ち寄ります
- まとめ
嘉手納っていえば?
もうすぐ梅雨明け!沖縄行きたいシリーズ勝手に第2弾です!
嘉手納ってどんなイメージなんでしょう。よく沖縄行かれる方は「嘉手納基地」または「嘉手納ロータリー」ツウな方ですと「ロータリー弁当」wとか、ってイメージするでしょうが、沖縄行かれない方はピンときませんよね。
では、まず基本概要を少々。
嘉手納町は沖縄本島中部に位置し、那覇から北へ23kmの地点にあります。極東最大の米軍基地である嘉手納基地が大半を占め、嘉手納町の総面積が15.04平方kmのうち12.40平方kmが嘉手納基地です。嘉手納町総面積の8割以上にも及びます。日本人は肩身が狭過ぎすでしょ~。
では嘉手納基地とは?
昭和19年、大日本帝国航空隊の中飛行場として造られるのですが、翌20年の4月には沖縄本島に上陸した米軍に占領されてしまうのです。
総面積は約19.95km2 の巨大空軍基地で、4000m級の滑走路を2本、軍機は200機前後は常駐していると言われています。
どの位どデカいかと申しますと、成田で4,000mと2,500mの2本、関空で3,500mと4,000mの2本ですので日本最大級、面積も羽田空港のさらに倍あります。
旧石垣空港の滑走路が1500m1本、新石垣空港でやっと2000mですので、いかに”バケモノ”サイズがおわかりいただけると思います。
たまに那覇空港が閉鎖時等で民間機の緊急着陸先でニュースになったりしますよね。こんな場合でも国外扱いの為、乗客は降機せずじっと機内待機です。
当然、柵の先は”日本”ではありませんので、むやみに近づくと連行されますw
不定期ですが嘉手納基地や他のキャンプ〇〇〇等が一般開放される、アメリカンフェスやフリマ時に思う存分散策しましょう。普段はゲート界隈で写真撮っていても走ってきて撮影画像を強制削除させられますw ↓は夜明け~早朝頃撮影^^
嘉手納はあくまでひとつの基地であって、正確には報道等でもあまりされないんですが、近隣の沖縄県内だけでも、どのくらいの基地が存在するかと言いますと~
「おいおい、ここは日本ですか?」ってほどの数があるんですねー。
嘉手納の周りだけでも普天間をはじめ、読谷のトリイ、キャンプコートニー、キャンプシールズ、キャンプマクトリアス、それに金武エリア以北のキャンプシュワブやキャンプハンセン、マスコミ報道でおなじみ辺野古まで入れたら、もう米軍だらけです。
辺野古問題にしても、TVだけ見ているとあたかも「新たに基地を新設⇒普天間引越し」みたいな報道がされていますが、1956年~辺野古弾薬庫が既にありますし、管理部隊:在沖米海兵隊基地司令部も存在します。海を汚しての滑走路建設は喜ばしくないのですが。
本当に沖縄県民は基地反対??
この問題は、あまりにデリケートですしハナサクの様なヨソモノが偉そうにコメントする立場にないのですが、何十年も沖縄に通い、ウチナンチュの友人や親戚とも家族ぐるみで触れ合う中で、明らかに違和感を覚える部分がいくつかあります。
それは、マスコミの報道が明らかにおかしいって事なんです。
まず「反対派の活動」以外は一切TVでは映さない。なんで???賛成派も、結構いるのに??
「賛成があれば反対がある」のは当然の事ですが、政治家(野党)をはじめ反対を訴える人らは、なぜ打開策を含め対案を出さない?反対するだけ??
先日お亡くなりになられた元大田知事は、はるか昔の橋本首相時代に普天間返還と移設で話はついていたのに、なぜ、ここまでこじれる?
それと、マスコミ報道とは違い、県民は必ずしも反対していないって事。
基地のおかげで収入に繋がる人々、また国の移設工事で動くお金で収入に繋がる人々等、賛否両論なのは当然の事だと思うのですが、少なくとも私の現地の知り合いで反対!を語る知り合い、一人もいないんですよね。これが紛れもない事実で、現に辺野古の住民の8割は賛成との聞きます。またTV報道の反対派でテント村に陣取る人々は、でっかいリュックやボストンバックを持って遠方から遠征で来る人らが多々いらっしゃるそうで、必ずしも地元の声ではない…って話。なんだかなぁ~。
沖縄県民の真意(本音)
これはハナサクも賛同するのですが、日米安全保障条約、特に急務なのは日米地位協定の見直しの様な気がします。
って難しく堅苦しく感じるでしょうから、わかり易く例えますと~
沖縄でレンタカー借りて運転していると米軍関係であるYナンバー(E・A含)をよく見かけると思いますが、とにかく運転があらくルール無視も多々見られます。急発進、急車線変更、ウインカーなしの右左折、突然の割込み等々・・・。目に余るものがある。※全てではないですよ。良い人もいっぱいいるでしょうし、信号待ちでもニコっと笑顔で手を振ってくる明るいマッチョな軍人もいます。一部の心無い米軍関係者ですね。
もし、こんな車に貰い事故(被害)でも遭ったとします。たかが物損(人身)事故で過失は向こうでも、MPは出るは日本の警察は深く介入できないは、防衛省を通さなくては処理できないはで、恐らく事故処理にかるく1年くらいかかるんです。
軍用車同士が交差点で事故おこした場面にも遭遇したことあるんです。それも西海岸に向かう交通量の多い国道58で。その事故現場を米兵は勝手に通行止めにするは、警察にはタッチさせないは、延々大渋滞で、数人の米兵が、偉そうに数台づつ「次、通れ!」みたに指図しています。「申し訳ありません」って態度はないんかいっ!
あったまきますよね。これが今の日米地位協定の現実なんです。
「しかたなく駐留して守ってやってる」って認識なもんで、これが窃盗、飲酒、傷害や殺人事件(特に海兵隊)の根本の根源なんです。
日本の政治家(リーダー)はナメられてます。ここの改革こそが急務です。
嘉手納ロータリー
国道58号と主要地方道沖縄嘉手納線および町道が交差するロータリー構造の交差点です。※下記画像は戦前
昔は完全ロータリー交差でしたので事故も多く、再開発が続き、ここ10年程で大きく様変わりしました。
昔は、このロータリー弁当を過ぎると読谷⇒恩納と向かう玄関口の様でしたので「わくわくMAX」になっていたもんです。また夜間は明々と光るお弁当屋さんのネオンが印象的でした。※現在はロータリー内から移転しています。
現在の嘉手納ロータリー。普通に58号線を走っていても「ロータリー」感は皆無で「緩やかなカーブ」って感じですよね。
現在の嘉手納ロータリーの象徴になっている「ロータリープラザ 」広場を囲むビルの周りに沿ってカーブしている交差点…って感じかな。
少しづつ時代が変化していっています。
安保の見える丘
安保の丘・安保の見える丘・サンパウロの丘・B52の丘って様々な呼び名で親しまれていた、かつては唯一基地内を望めた秘密スポットでした。
この画像見て、「あぁ、道の駅かでなから見える景色ね!」と思われる方もいらっしゃるでしょう。道の駅かでなは下記で詳しく説明するとして、道の駅が出来る前の、今からさかのぼること15年程前までは、嘉手納滑走路を望める場所でした。
今では歩道も整備され、丘への入口も綺麗になっていますが、昔は赤土で靴の裏が粘土だらけになる程の悪路を上がって基地内を望んだものです。
米軍の払下げ品を売りに来る露天商や米軍マニア、反戦団体、平和学習生、またロケットランチャーの様な望遠レンズをセットしたマスコミ等で、それなりに賑わって観光コースにもなっていました。
道の駅かでな屋上より、より近距離にあるので、戦闘機の爆音等、迫力はかなりのものでした。でも今はソフトクリームやハンバーガー食べながら屋上から観察がすっかり定番になってきましたよね。
時間がある時に一度立ち寄ってみるのもおすすめです。
道の駅かでな
沖縄県中頭郡嘉手納町屋良1026-3
電話 098-957-5678
FAX 098-957-6007
前述の安保の丘に代り、今ではすっかり嘉手納基地スポットとして定番になった道の駅かでな。
2003年にオープンするのですが、当時は日本最南端の道の駅と話題になりました。※後に本島南部の豊見城市にある道の駅豊崎が2008年に最南端でなくなる。
サツマイモ発祥は薩摩ではなく嘉手納???
まずは道の駅かでなにお邪魔すると、敷地内に野國總管(のぐにそうかん)の像があります。かつて琉球を飢えから救ったとされ神のように崇められるお方です。
飢えに苦しむ沖縄で嘉手納出身の野國總管は中国から芋の苗を持ち帰り、嘉手納町の土地に合った特産品の芋を開発しようと、研究を重ね、カボチャのような鮮やかな黄色が特徴の“野国いも”が栽培されるようになりました。
それ以降、サツマイモ発祥の地として知られる様になったそうです。毎年10月の野國總管まつりが道の駅かでなでも開催され賑わっています。
敬意を表し一礼。
ロータリードライブイン
またまた昔話ですねw…って、そんな大昔でもないんですが、道の駅かでながオープンする以前、ロータリードライブインって巨大ハンバーガーの名物店がありました。
一度移転し、現在、この場所にはもうその店は無いのですが~…
これが、道の駅かでなオープンすると「ロータリードライブインUP-KITTY(アップキティー)」開店となりました。
名物は何と言っても巨大チーズバーガー
現在は1F入口横のテイクアウト店と、2階には別にレストランがあります。
この迫力とBIGサイズ
こちらが2Fのレストラン。
結構な広さですので、時間がゆっくりある時なんかは基地内を眺めながら楽しめますね。
注文時、お冷の事を「アイスワ~ラ~」って独特のイントネーションで言われてました。
でも、平日の嘉手納滑走路が頻繁に離発着している時間帯は、1Fのテイクアウトした後、屋上の展望スペースでカメラ片手に頬張る!ってスタイルが多いですかね。
屋上で嘉手納基地を望む
エレベーターに乗り、屋上まで上がってみます。
ベンチやテーブル、望遠鏡もあります。ハンバーガーテイクアウトの場合は、屋上にも自動販売機がありますので飲み物購入も可能です。
もう、地響きの様な爆音が凄まじいです。
旅行の日程中となると、なかなかタイミングが合わないのですが、天気が良くて、平日の夕方迄で、けたたましい爆音とともに離発着が見えれば、ちょっと寄って上に上がって楽しんでみるのも良いかと思います。
帰りは3階の学習展示フロアに立ち寄ります
屋上で基地を眺めた後は、エレベーター3Fで一度降り、嘉手納の歴史を学ぶ事ができます。特に今からの季節、お子さんの「夏休みの自由研究」のテーマには持って来いではないでしょうか?お父さん、お母さんのお株が上がるはず。たぶん・・・
この展示物や資料での無料開放は太っ腹です。
過去、嘉手納で基地に関する事件事故も事細かく記されています。
戦時中の嘉手納ロータリー。原型はそのままですね。
金網の柵が嘉手納基地の外周を囲む柵に見立ててレイアウトされています。
現在の北谷側から嘉手納飛行場と読谷飛行場を制圧する為に米軍が上陸する様子。
米軍はその日のうちに6万人が上陸し嘉手納・読谷飛行場を占拠される。
少し生々しい内容ですので、戦史の苦手な方には、あまりお薦めしませんが、ハナサクが生まれる遥か昔に沖縄で起こった歴史として大変勉強になります。
南国沖縄満喫中、またはリゾート気分の中、ちょっと立ち寄り、改めて平和の尊さを知るには、とても有意義な施設だと思います。
※こちらにハンバーガー持ち込みは不謹慎ですw
まとめ
いつも何気に通り過ぎている嘉手納町ですが、改めて記事にすると、かなり長文になってしまいました。
「そんなの知らないから素通りしてたよー!」って興味を持たれた方は、次回訪沖時にでも、機会を見計らって是非訪れてみて下さい。
じつはまだシンガポールの記事も終わってないし、次回のSFC(DIA?)修行のネタも溜まりまくっているのですが、何せ時間が…。焦らず追々更新していきたいと思っています。
そうこうしていると、月末6/29~ANA海外タイムバーゲンが始まりますね~。大学生の長男に「夏休みどっか行きたい。自分らだけ・・・」とグチられましたので、激安エコノミーの旅でも狙ってみようかなぁ~と、虎視眈々と狙いを定めておりますw
引き続き、ゆ~っくりですが、沖縄の便利情報編や豆知識編を連載でやってみようと思っています。
では、また。
本日も独り言にお付き合い頂きありがとうございました。